『証』(賛美歌『何度でも』をUPしました)
前回の賛美歌『愛はここにある』から、やはり2ヶ月ぐらい経ってしまいましたが、新しい賛美歌『何度でも』をUPすることができました。
実は、『愛はここにある』をUPした後、私は自分の壁がつき破れずにもがく日々でした。
『不要なものを捨てる』よう御言葉が出ましたので、自分の不要なものを探し、祈り求めていました。
しかし、私は物欲はそんなに強くないと自覚しています。持ち物も他の人より少ないと思います。
ふだんはアクセサリーはもちろん、腕時計すら身につけていません。
食欲も、好き嫌いは特にありませんが、食事に執着するわけでもありません。
答えを求め、神様に祈る日々が続きました。
『私が捨てるべきものをお教えください』
『私が捨てるべきものを…捨てるべきもの…もの?』
その瞬間、私は悟りました。
『捨てるべき不要なものが、目に見えるとは限らない』ということを。
考えてみれば、目に見えるものより、見えないものの方が厄介です。
私の場合は、高慢な心とか、虚栄心とか、怠惰とか。
それらは気が緩むとすぐに頭をもたげてきます。
『今回は自分としてはよくできた方だ』
『誰かに認めてもらいたい』
『これぐらいしておけばいいだろう』
こういった考えが頭の中を駆け巡ります。
でも、これは人間基準の話です。
神様のレベルに到達しなければ、認めてもらえません。
しかし、人間は悲しいもので、『自分はこの分野ができている』と思った瞬間、その分野の成長がストップするのです。
それからは悔い改めの日々でした。とにかく自分に向き合い、弱さや醜さなどを除いてくださるよう神様に祈り求めながら楽譜に向かいました。
そんな中、『何度でも』の歌詞とメロディーが頭に浮かんできたのです。
録音したものを改めて聴いてみると、なんとなく前回の賛美歌よりも声が明るくなった感じがします。ピッチも改善されてきました。
しかし、ここで満足すると、また以前の状態に逆戻りしてしまいます。
幸い、『何度でも』の楽譜を作成しているときに、新しい曲の構想をいただきましたので、それを形にする作業に勤しみたいと思います。
『何度でも』の歌詞を下に記載しておきます。
何度でも
何度でも 何度でも
主を呼び求め続ける
何度でも そう 何度でも
声が枯れ果てようと
この世は辛く 苦しく
さまよいながら 生きてきた
救いを求め 主を知り
全てを委ね 祈れば
心が救われ 満たされ
主の御心を成していきたい だから
何度でも 何度でも
主を呼び求め続ける
何度でも そう 何度でも
声が枯れ果てようと
人々と 手を取り合い
永遠の王国へ