(続・長崎原爆の日に思う)
前回の記事で長崎原爆について書きました。
長崎には多くの被爆遺構がありましたが、現存しているものはそんなに多くありません。
いや、長崎市は被爆遺構を意図的に破壊してきたような感じさえします。
例えば、冒頭の写真は爆心地公園に立つ旧浦上天主堂の一部です。
旧浦上天主堂は爆心地とされるところから近かったので、甚大な被害を受けました。
この遺構を保存しておけば、広島の原爆ドームに匹敵、いやそれ以上のインパクトのある遺構として、原爆の非人道性を訴えることができたと思います。
ネットを検索すると、信者たちも田川努長崎市長(当時)も建て替えを支持したとする記事があります。
https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/nagasaki-0809-urakami
しかし一方で、当時の教会関係者も加わった長崎市の原爆資料保存委員会が、天主堂の廃墟は保存すべきという結論を出しており、石田寿委員長(被爆当時の長崎地裁所長)も「観光的にも平和運動的にもぜひ残すべきものと信じる。あれを壊したら長崎は一体、何を原爆の跡として残すか」と語っているという資料もあります。また、長崎市議会も全会一致で保存を求めており、田川務長崎市長も当初、保存に向けて前向きの姿勢だったそうです。
http://www.nagasaki-r.seesaa.net/article/127483104.html
その田川努長崎市長の態度が豹変したのは、アメリカのセントポール市と姉妹都市関係を結ぶ話があり、訪米し、帰国した直後からでした。
https://t3mi.exblog.jp/13366829/
上記リンク先から、アメリカが資金援助と引き換えに建て替えを強く勧める様子が伺えます。
そもそも、セントポールと長崎市にどういう繋がりがあったのかすら不明です。文字どおり『降って湧いたような』姉妹都市関係の提携だったのではないでしょうか。
渡米中の田川長崎市長に何があったのでしょうか。
なんらかの密約があったのでしょうか、金品の授与でしょうか、それとも脅されたのでしょうか。
いずれにせよ、旧浦上天主堂は破壊され、跡地に新しい天守堂が建設されました。
保存を願う市民団体が、遺構の一部を爆心地公園に移設して、現在の状況になっています。
ここで再度、旧浦上天主堂の説明看板の拡大図を掲載します。
『安全を考慮して内部及び表面の修復を行いました』の表記が白々しく見えます。
(http://jpn.ixcha.com/2019/04/12/米国の原爆によって破壊された長崎市の観光名所/ より)
こちらは現在の浦上天主堂。
二つの尖塔の中央、丸い薔薇窓が『ホルスの目』になっています。
また、爆心地公園は昭和23年に2〜3m盛り土をして、現在の姿になっています。
https://nagasakipeace.jp/japanese/map/zone_inori/genbaku_rakka_hi.html
公園を歩く私たちの足の下には、被爆当時の地層がそのまま残されています。
一部だけですが、その地層を見ることができるようになっています。
案内の看板です。
厚いガラスを通して中を見ることができます。
黒く焦げた木材や割れた食器などがそのまま残されています。おそらく人骨なども埋まったままなのでしょう。
さて、爆心地公園から道路を挟んで向かい側に平和公園があります。
先日の平和祈念式典もこちらで行われました。
あまり人は立ち寄りませんが、実は平和公園の入口横にも被爆遺構があります。
平和公園入口にエスカレーターを設置しようと工事していたら、防空壕が発見されたのです。
https://ameblo.jp/koguma-jgsdf/entry-12153801474.html
全面保存を求める市民団体に対して、田上富久長崎市長は一部のみ保存を決定。
案内板が設置されていますが、傷み具合の激しさからも長崎市に保存する気がないのがありありと分かります。
前述の被爆当時の地層との差を強く感じます。
以前は中に照明がついていて、様子が伺えたのですが、今はついていないようです。
こちらの防空壕には入口に金網が張っていました。
カメラのレンズを近づけると、中の様子が撮影できました。
割れた瓶や欠けたお皿などがそのまま残されており、当時の様子を克明に伝えています。
さて、エスカレーターを昇ると公園奥に平和祈念像があり、その前は広場になっています。
戦時中、ここには刑務所がありました。
長崎刑務所浦上刑務支所と言います。
とても大きな刑務所で、平和公園の広場ほぼ全域が含まれていました。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/長崎刑務所浦上刑務支所跡
1990年に発見されたとき、本島等長崎市長(当時)は保存する方針を示していましたが、のちに発言を翻します。
結局、一部(上の図で青く塗られた部分)だけ残し、あとは埋められてしまいました。
理由の一つが『平和祈念式典を行う広場が必要だった』からだそうですが、広場が必要なら前述の爆心地公園でもできるはずです。
また、平和公園周辺には野球場、ラグビー・サッカー場、陸上競技場などがあり、広いスペースはいくらでも確保できるのです。
ここまで書いて、被爆遺構を破壊してきた連中は、『人々を平和祈念像前で祈らせること』を目的にしているのではないかと思いつきました。
前回の記事にも書きましたが、平和祈念像のポーズは悪魔バフォメット と同じです。
この平和祈念像、被爆者の鎮魂のために建てられたと言いながら、爆心地に顔を背けています。額には渦巻き(数字の6?)が描かれています。
(制作者、北村西望の原画)
掲げられた右手の指は、見る角度によっては『666 』に見えます。
平和祈念像と平和の泉(直径18mで、二つに割れたピラミッド状の噴水を出します)と、標高333mの稲佐山はレイラインを形成しています。
(平和の泉の説明看板)
撮影した私の背後に平和祈念像があります。中央奥が平和の泉、さらにその奥の山が稲佐山。
見事に一直線です。
この悪魔的なシンボルに満ち溢れた平和祈念像の前で、原子爆弾が爆発した時間に祈りを捧げるという構図は、悪魔崇拝者たちから見たら自分たちの勝利に対して人々がひれ伏しているように見えるのかも知れません。どこまでも汚い奴らです。
安倍晋三が毎年平和祈念式典に参加するのも、悪魔崇拝者側の代表なので参加せざるを得ないのでしょう。
(表情に生気が全くありません)
しかし、被害に遭われた人々、亡くなられた人々に対してに対して哀悼の言葉を述べるつもりは安倍晋三にはさらさらありません。
だから、広島と長崎であいさつ文の93%が同じだと指摘されても、全然構わないのでしょう。
https://mainichi.jp/articles/20200810/k00/00m/040/241000c
上記リンク先に被爆者団体から『馬鹿にしている』という怒りの声が上がっていると書かれていますが、文字どおり、馬鹿にしていると思います。
しかし、その安倍晋三も体調がかなり悪いようです。
自分のツイートで恐縮ですが、先日、安倍晋三はジムに通ったとのこと。
https://twitter.com/dbwisvhvvou9iua/status/1292974211493847040?s=21
安倍晋三のジム通いは診察を意味します。
https://blog.goo.ne.jp/yoroshiku109/e/3604745db35b2949fcc2f04db901ddcc
最近の首相動静を見ても、半日勤務が精一杯といった感じを受けます。
大好きなゴルフにも1年以上行ってないようです。コースを回る体力がないのでしょう。
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12180-754787/
悪魔崇拝者たちが裁かれ、一刻も早く滅びることと、神様の統治する世の中になることをお祈りします。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。