『まとめ』(原爆の嘘について その1)

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(画像は長崎の夜景です)

広島と長崎に原子爆弾が落とされてから75年が経過しました。

私は長崎で生まれ育ちましたので、原爆は子どもの頃から身近にありました。

通っていた小学校には被爆した校舎がありましたし、中学校の頃の担任の先生はご自身が被爆なさっていました。

当時、先生は学校の運動場で何かの作業をしていたときに背後から熱線を浴び、すぐ後に来た爆風で飛ばされてしまい、気を失ったそうです。

どれぐらい時間がたったのでしょうか。気がついた先生が見上げた空は、爆発で舞い上がった黒い粉塵が風に流され、ちょうど先生の頭の上で青空が見えて、黒と白の半分に分かれた世界がどこまでも広がっていたそうです。

背中に大火傷を負った先生は、病院に入院してうつ伏せで1ヶ月間寝たきりの生活を送りました。

当時は物資が不足していて薬も満足にありませんでした。傷口にハエが卵を産みつけ、孵化したウジが背中の肉を食べていたそうです。

看護師さんにできることは、ハエをうちわで追い払い、背中のウジを箸でつまんで捨てるだけ。

それでも先生は驚異的な回復力を見せ、一命を取り留めました。

しかし、原爆は先生の体に一生消えない傷を残しました。

背後から熱線を浴びたため、先生の耳は溶け、ほとんどなくなっていたのです。

これから思春期を迎え、容姿が気になる年頃だというのに、外見で大きなハンディを負わされた先生は、人とすれ違うときに耳を隠すクセがついたそうです。

先生は私たち生徒に対し、ご自身の被爆体験を語ることはそんなに多くありませんでしたが、3年生の8月の登校日に上記のような話を聞かせてくださいました。

実際に被爆なさった方が語る体験談はとても強烈で、今でもこうして覚えているぐらい大きな印象を残しました。

そんな私の考えを変えるキッカケになったのがラプトブログの『原発も原爆も存在しない』シリーズでした。

https://rapt-neo.com/?p=34519

https://rapt-neo.com/?p=34625

当時の私としては、これまで『常識』と信じて疑わなかったことが否定された感じで、なかなか受け入れられませんでした。

『そんなはずはない』と、自分でもいろいろ調べてみました。

そんな私が『ん?』と思ったのは、Wikipediaの長崎原爆投下の記事でした。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/長崎市への原子爆弾投下

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『雲の切れ間から一瞬だけ眼下に広がる長崎市街が覗いた』…待てよ、先生は『青空』と仰ってたな…。

疑問を持った私は、他の証言を探しました。

幸い、長崎市ではご自身の被爆体験を後世の人に伝えようと、本や映像の記録が盛んに行われていました。

その中で、私は一冊の本に着目しました。

『あの日あの時』という、当時主に三菱の兵器製作所茂里町工場で働いていた長崎県立長崎高等女学校の方たちの手記をまとめた本です。

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ページをめくると、『雲一つない青空』や『焼けつくような晴天』の文字が。

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さらに詳しく調べていくと、長崎市が発行した『長崎原爆被爆五十年史』に辿り着きました。

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その中の記載に、原爆投下時の天気図と気象解説が掲載されています。

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はっきりと『快晴』と書かれてあります。

Wikipediaには嘘が書かれている!』私の中で、何かが『カタン』と音を立てました。

頭のスイッチを切り替えて記事を読み返せば、おかしいところはたくさんあります。

原爆投下が10時58分、爆発が11時02分。投下して4分後に爆発したことになります。

物体が自由落下するときは、質量にかかわらず同じ速さで落ちますので、下の公式で落下距離が求められます。

https://jyukenstyle.com/free-fall

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上の式で、gは9.8m/s2(sの2乗)です。tは、かかった時間を表します。ふつうは秒ですので、4分間なら240秒になります。

わかった数字を式に代入すると、

y= 1/2 × 9.8 × 240 × 240 = 282,240

となります。投下された原爆は4分間で28万m以上も落ちることになります。

しかし、実際の投下高度は9000m、爆発したのは高度500mですので、8500mしか移動していないことになります。

『ゆっくり落ちるよう、パラシュートでもつけたのではないか』とも考えました。

実際、前述の手記には、フワフワと落ちる物体を目撃している人が数名いらっしゃいました。

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しかし、長崎に落とされた原爆の質量は4.5トンもあります。

http://city.nagasaki.ajisai-call.jp/faq/show/3706?category_id=18&site_domain=default

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人間一人をゆっくり降下させるだけでも、大きなパラシュートが必要です。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/パラシュート

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4.5トンもある爆弾をフワフワとゆっくり降下させるためには、どれほどの大きさのパラシュートが必要でしょうか。現実的ではありません。

それでは、B29から投下された、フワフワと落ちる物体は何だったのでしょうか。

前述のWikipediaの記事を続けて読むと、『ラジオゾンデ』の存在が書かれてありました。

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これは実際に投下されているようですので、目撃されたのは観測用のラジオゾンデだったと思います。

ここまで調べて不思議に思ったのは、4.5トンもの爆弾が落とされたのなら、『ヒュルヒュル』といった風切り音が聞こえるはずです。

しかし、前述の『あの日あの時』には、そんな音を聞いたという証言はどこにも書かれてありませんでした。

私の担任の先生も、日頃の経験から風切り音がしたら『爆弾だ!』と考え、とっさに防空壕に逃げていたはずです。

それをしなかったということは、地上で爆発したためだとしか考えられないのです。

ちなみに、B29が原爆投下して4分後に爆発したという記事は、おそらくB29が安全な場所まで退避するのにはそれぐらいの時間が必要だったということでしょう。

前述の式を応用すれば、B29から投下された爆弾が8500m落ちるのに何秒かかるかが求められます。

分かっている数字を式にあてはめると、

        8500 = 1/2 × 9.8 × (tの2乗)

                 = 4.9 × (tの2乗)

(tの2乗)= 8500 ÷ 4.9

                 ≒1735

よって、 t ≒ 41.6

原爆投下から約42秒後に8500m移動し、爆発した計算になります。

仮に原爆投下後、B29が最高速度の時速570kmで現場を離れたとしても、42秒で移動できる距離はわずかに6,650mです。これでは爆発の衝撃に巻き込まれてしまいます。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/B-29_(航空機)

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そういった指摘を受けることを避けるために『4分』という嘘をついているのでしょう。

また、YouTubeを検索したら、B29に長崎原爆を搭載する動画がありました。

https://youtu.be/N2HizX2l25Y

ものすごい殺傷力のある危険な爆弾なのに、移し替えなどはほぼ手作業です。

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運搬も、およそ舗装されているとは言えない道路をトラックで牽引しています。振動により爆発する懸念はなかったのでしょうか。

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動画を見ていただけるとわかりますが、後続のジープは上下に揺れています。

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B29に積載する様子もありました。

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積載する映像はここで終わり、B29の飛行映像に切り替わるのですが、私が気になったのは、『B29の爆薬庫の扉をどうやって閉めたのか』ということです。

扉を閉めるには、ジャッキアップしたファットマンを中で持ち上げ、支える必要があります。4.5トンもありますので、人力では無理です。大掛かりな設備が必要です。

残念ながらB29の設計図などはネットに上がっていないようでしたので詳細は不明ですが、B29のプラモデルを製作している方の動画がありました。

https://youtu.be/Muv-bW0WTlo

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見ての通り、ファットマンの前後左右ともスペースはありません。原爆が爆薬庫の中に入っても、中で爆弾を保持することができませんので、扉を閉めることはできないようです。

ちなみに、B29に搭載できる爆弾の重さは2トン少々のようです。

http://www.sun-inet.or.jp/~ja2tko/jap/jap.b29/b29no1.html

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後続機種は改良されたかも知れませんが、4.5トンもの爆弾を積んで飛ぶのは困難だったはずです。

また、75年前の技術では、起爆装置の小型化は不可能だったようです。

https://tanemakilog.com/archives/727

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上の画像は、以前、私がネット記事をスクショしたものですが、もとの記事は削除されてしまったようで、いくら検索をかけても出てきませんでした。引用していらした種log様のリンクを貼らせていただきました。

さらに、『高さ500mで爆発』したとされていますが、爆心地近辺で一番高い山は稲佐山で、333mです。

稲佐山を例に出しましたので、爆心地と稲佐山の間の地形を簡略化して図にしました。右側の赤い星は標高500m、原爆が爆発したとされる位置です。

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この位置で爆発したのなら、爆風や熱線といった被害は稲佐山の山頂を越えて山の裏側にまで広範囲に及ぶはずです。

しかし、実際の被害状況は下の図のとおりです。

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標高で言うと、ほぼ60m以下に限定されています。

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仮に、地上で爆発したと仮定して、先ほどと同じような図を作成しました。

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ほとんどの熱線と爆風は上空に抜けますが、地表付近を這うように進む熱線と爆風があるのが分かると思います。当然、該当範囲の被害は甚大になります。

稲佐山の場合は、爆心地から1400mほどの位置に小高い丘があります。

ここで爆風の向きが上方に変わり、被害が広がらなかったのではないかと思います。ちょうど標高60mの位置です。

長崎市は市街地を囲むようにして同じような丘がありますので、標高60mより上に被害がない理由がわかりました。

話は変わりますが、広島や長崎では原爆のことを『ピカドン』と呼んでいました。

名前の由来は『ピカッ』と光った後に『ドーン』と爆風が来たためです。

しかし、高さ500mで爆発したのなら、光と爆風が訪れるのに時間差があったはずです。

光の速さは1秒間に30万km。どこかで何かが光れば、かなり広範囲の人が光を同時に目にします。

それに対して、音の速さは(気温により多少変動しますが)1秒間に340m。

原爆の真下にいた人でも、光を目にした後で音が届くのに1.5秒ぐらいかかる計算になります。

雷が光った後、音が遅れて聞こえるのと同じです。

前述の三菱兵器製作所は爆心地から約1600m離れていましたので、光と爆風の時間差は5秒ぐらいあったと思います。

しかし、手記ではほとんどの方が『光と音が同時に来た』と証言しています。

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これらのことから考えられるのは、長崎の原爆は地上で爆発したこと、しかも本当の爆心地は三菱兵器製作所のそばではないかということです。

また、ラプトブログでは原爆そのものもマグネシウム爆弾だと暴かれました。

https://rapt-neo.com/?p=38796

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上の写真は、私がラプトさんに送らせていただいたのですが、長崎新聞が以前発行した『長崎新聞に見る長崎県戦後50年史 1945-1995』という本から抜粋しました。

https://ci.nii.ac.jp/ncid/BN13382969

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マグネシウムの光に関しては、『ヒロシマナガサキ原爆写真・絵画集成』という本にも記載がありました。

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古い本ですが、『マグネシウムが目の前で発火したかと思う青白い閃光』という記述があります。
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青白い閃光に関しては、前述の手記にも書かれてありました。

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また、マグネシウム爆弾はオレンジ色に見えることもあるようです。

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前述の本にも、オレンジ色の光についての記載がありました。

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こうして見ると、原爆に関してはたくさんの嘘で固められているのがよくわかります。

原爆が存在するという嘘。

原爆のB29搭載の嘘。

8月9日の天気の嘘。

投下後、4分後に爆発の嘘。

起爆装置の嘘。

そもそも地上爆発だという嘘。

爆心地が違う嘘。

マグネシウム爆弾だったという嘘。

被爆なさった私の担任の先生がよく仰っていた言葉に、次のようなものがありました。

『人間は、一つ嘘をつくと、その嘘を正当化するために別の嘘をつかないといけなくなる。最後は、自分がついた嘘にがんじからめになってしまうから、嘘をついてもロクなことがない』

本当にそのとおりだと改めて思いました。

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この『原爆の嘘について』シリーズはまだ続きます。最後までお読みいただき、ありがとうございました。