『証』(神様の深いお考えについて)
2年ほど前から聖書の通読に取り組んでいます。
なかなか読む時間が取れないのですが、やっと5度目か6度目の通読に取りかかり、今は、旧約聖書を読んでいます。
神様から選ばれたイスラエルの民は、奴隷として扱われていたエジプトを出て、『乳と蜜の流れる地』カナンに移動しました。
神様は人々に掟と法を与えましたが、その道中、人々は偶像崇拝をしたり、神様に『エジプトで暮らす方が良かった』と不満を言ったり、反逆したりと、掟と法を破って神様を怒らせるようなことをたくさんしてきました。
そのたびに、民の指導者であるモーセは神様に祈りを捧げ、許しを乞い願ってきましたが、最終的にモーセたちはカナンの地に入れず、その子孫たちがカナンの地に入るように神様が裁かれました。
私はこの話を読み、神様の深いお考えを悟りました。
神様はバアルなどの異教の神、つまりサタンがイスラエルの民の信仰を破壊しようとする様子を見ながら、本当に信仰を持っているのが誰なのかを見極めようとなさっていたのです。
民数記では、ベオルのバアルを信仰するモアブの娘コズビと一緒に背信の行為をしていたイスラエル人ジムリの二人を、ピネハスが槍で二人とも串刺しにし、神様の怒りを鎮めました。それによってピネハスは祝福を受け、神様から平和の契約を授けられました。
また、カナンの土地を偵察に行った人々は、神様の御心に反して『城壁が高く、大きくて強い民がいる』といった、土地に関する悪い情報を流し、神様の御心に従って進軍し、占領するよう提言したヨシュアとカレブの意見を封じ込めようとしました。
結果、神様は怒り、悪い情報に惑わされて進軍を否定した二十歳以上の者はカナンの地に入ることを禁じられます。ただ、ヨシュアとカレブの二人はカナンの地に入ることを許されました。
神様の目から見て、正しくないことばかりを繰り返し、サタンを崇拝し、神様を怒らせるかたくなな民。
この構図は、そのまま現代にあてはまると、私は感じます。
いえ、現代は旧約聖書の時代よりも情報が溢れ、身の周りに娯楽施設などもたくさんありますので、一層堕落しやすい環境にあると言ってもいいでしょう。
悪魔崇拝のシンボルは至るところに隠されていますし、テレビは洗脳の道具です。
kawata2018.com/2019-02-11/
そんなものに囲まれて生活をしている私たちが神様の存在を認識するのはとても難しいですが、それでも神様は私たちのすぐ側にいらっしゃいます。
正しい行いをしているのは誰なのか、清い心をもっているのは誰なのかを、炎のような目で見つめ、人々を振り分けていらっしゃいます。
現代は隠されていた悪が全て明らかになっています。これは偶然の産物ではなく、神様のご意志です。
悪いことをした人は裁かれ、地獄のような生を生きます。安倍晋三の浮腫んだ顔や麻生太郎のイライラした表情を見ていれば、それがわかると思います。
最近では菅義偉の焦点の定まらない目や、二階俊博が新聞記者を小突く様子などもありました。
この終わりの時に裁かれ、生きているうちも死んでからも地獄のような生を送るのか、神様から救いを受けて祝福に満たされた人生を送るのか…ただし、救われるといっても、神様の定めた基準に達しないといけませんので、それはとても高いハードルです。
だからと言って、行動を起こさなかったり、悪の道に走ったりするのはとても愚かです。
あなたの人生は一度きりしかありません。真に救われた人生を、また、人々に喜ばれ、感謝されるような祝福に満たされた人生を送りたいと願うなら、行動を起こしてみませんか。
先ずは、下記のブログに目を通されることをお勧めします。