『証』(紅白歌合戦からの気づき その2)
(画像はhttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/治承・寿永の乱#/media/ファイル%3AGenpei_kassen.jpgより)
前回に引き続き、紅白歌合戦を見ての気づきです。
さて、そもそもなぜ『紅白』なのでしょうか?
実は、その起源は『源平合戦』にあります。
合戦の際、源氏は白い旗、平氏は赤い旗を掲げて戦ったそうです。
ちなみに平氏の赤い旗には、金色の太陽が描かれていました。
源氏の白い旗には、赤い太陽が描かれていたようです。
https://www.google.co.jp/amp/s/gamp.ameblo.jp/daikokutenbutsuryu/entry-12348247954.html
この赤と白の争いが元になり、紅白歌合戦のコンセプトが出来上がっていったそうです。
しかし、ここでまた疑問が。
両方の旗に描かれている太陽、なぜ色が違うのでしょうか?
一般に世界的には、太陽を金色の丸で描きます。
赤い丸で描く国は少数派で、赤道付近の地域が多いそうです。
下記リンク先によると、『緯度が低くなるほど太陽との距離は短くなり、太陽は燦々と頭上を照りつけるようになります。そして赤や黄色の波長が多く届くため、色みは赤く鮮やかで強く感じられ』るためだそうです。
https://onsuku.jp/blog/color_knowledge_004
バングラデシュの国旗も、赤い丸が太陽を表しています。
https://onsuku.jp/blog/color_knowledge_003
ただし、周囲の色は白でなく、緑です。国の豊かな自然を表しているそうです。
このブログでもたびたび紹介しているラプトブログに、源氏の旗とよく似た配色のものを見つけました。
上記ブログ内の画像は、下のリンク先のものです。
https://blog.goo.ne.jp/runrunsumera/e/e26d704d5bec7a339ef28a7bf61f543d
これを見ると、単純に『似ている』というだけでは済まされない感じがします。
共通の祖先がいた、もしくは、古代エジプト人の一派がアジア大陸を渡って日本に辿り着いたと考えた方が自然かも知れません。
実際、記事内の写真にある木棺の顔立ちは日本人にそっくりです。
『そんな昔にエジプト人が日本に来るわけがない』と思うかも知れませんが、続日本紀には『736年に波斯人(ペルシャ人)が聖武天皇に面会した』と記されています。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/破斯清通
ペルシャは現在のイランですので、エジプトから人が来てもそんなにおかしくはないと思います。
この話はまだまだ続きます。