そして、今がある。(その5)

前回の記事に書いた大きな問題…朝会の記事を購入なさっている方ならご存知かと思いますが、私の高慢な考えが書かれたメールにより、ラプトさんの心情を傷つけてしまい、神様から裁きの御言葉を宣布される事態になってしまいました{詳しい内容を知りたい方は、2017年10月23日の有料記事(http://rapt-neo.com/?p=45525)か、あるいは同じく2017年10月16日の朝のお祈り会(http://rapt-neo.com/?page_id=45180)の音声をお聞きください}。

そのときの私は、『自分の軽率な行いで、取り返しのつかないことをしてしまった』という、大きな後悔の念でいっぱいでした。本来なら愛媛までお伺いしてラプトさんに謝罪をしたかったのですが、それも叶いませんでしたので、謝罪のメールを送らせていただきました。

その日のことを思い出してみると、何を食べても味がしない、表情一つ作ることができない、心の中でずっと悔い改めの言葉を神様に対して述べているといった状況でした。

『絶望する』とは、おそらくあのような状況を言うのでしょう。今、思い返しても深い後悔の念が私の中に溢れてきます。

ところが、翌日の御言葉で、ラプトさんは私のことを庇ってくださいました。『いい人なんです』とまでおっしゃっていただきました。

私は御言葉を聴きながらずっと泣いていました。救われた喜びもありましたが、『こんな素晴らしい人を自分の軽はずみで高慢な言動で傷つけてしまった』ことに対する自責の念がとても大きかったと思います。

ラプトさんは25年もの長い間、神様から練達を受けた『神の人』なのだと、あらためて深く確信した次第です。

それからの私は、四本の信仰の柱を立てるよう毎日勤めました。間違った行いをしたことを反省する気持ちを表すには、正しい行いをするしかないと考えたからです。

伝道することはハードルが高く、全く成果が上がりませんでしたが、時間があれば神様にお祈りをし、帰宅したらまず賛美を捧げ、聖書を読む生活を続けました。

 

そして、11月11日を迎えたのです。(続く)