そして、今がある。(その4)

昨日の記事に書いた『平和祈念像が向いている方向』は、長崎市の西部にある『稲佐山』という山でした。

グーグルアースなどを見ると、平和祈念像から平和の泉を経て、稲佐山に至る参道のようなレイラインが確認できます。f:id:jigemon2019:20191003222419j:image

平和祈念像は右手を掲げていますが、下から見上げると、角度によっては指で『666』を形作っているように見えます。f:id:jigemon2019:20191003222436j:image

像の額にも『6』がありますね。f:id:jigemon2019:20191003222442j:image

平和の泉の直径は18m、これも『6+6+6』です。また、噴水が設置されていますが、噴き上がる水の様子が御巣鷹山にあるJAL123便の鎮魂モニュメントにそっくりです。f:id:jigemon2019:20191003222709j:image

https://twitter.com/samaritanw/status/1074425514419380224?s=21

稲佐山の標高は333m、悪魔崇拝者が好む『666』のちょうど半分です。

また、平和祈念像が設置されている公園は『平和公園』といいますが、2011年〜13年にかけて大規模な改修工事が行われています。

その過程で原爆炸裂時の防空壕が発掘されているのですが、長崎市は戦争の愚かさを伝える遺構を破壊し、公園の工事を優先しています。

https://www.city.nagasaki.lg.jp/syokai/760000/763000/p006674.html

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このように、悪魔崇拝に関してかなりの知識があり、しかも戦争の遺構を破壊してでも工事による利益を優先させるという、まさにサタンとしか言いようのない人間が行政の中心にいて、長崎の行政は悪魔崇拝者に牛耳られていることがわかりました。

このときの私の心情としては、驚きと憤りと、そしてなによりも『無力感』のようなものが大きかったと思います。相手の組織力や経済力、あるいは肩書きといったものに対して、必要以上に卑屈になっていたのかも知れません。

しかし、そんな中、頻繁に記事を更新し、この世の悪を明らかにしていたため、おそらく一番命の危険にさらされているであろうラプトさんは、読者対談などでもイルミナティどもの悪事を泰然自若と笑い飛ばしていました。

私は『ラプトさんのこの明るさや自信は、いったいどこから来るのだろう』と、ずっと考えていました。そして、『悪魔を信じている人間がいるのなら、悪魔は実在するのだろう。だったら、悪を打ち倒す神様も実在するはず。ラプトさんは、その神様に守られているから、悪魔の所業を笑い飛ばすことができるのだ』ということを確信するに至りました。

『自分もそうなりたい!』と思い、有料記事の購入を始めたのが2年前の夏になります。

しかし、私の高慢さが、大きな問題を引き起こすことになるのです。(続く)