そして、今がある。(その9)

昨日と一昨日は忙しく、ブログを書くのをお休みさせていただきました。

さて、前回から『証』を書いています。人様に恵みを与えられるような証はなかなか難しいのですが、今日は2年ほど前に行ったクラシックのコンサートについて書きます。

地元の銀行が主催して行うニューイヤーコンサートでしたが、そこでウェーバーのオペラ『魔弾の射手』序曲が演奏されました。

作曲者と曲名は知識として知っていましたが、このオペラが悪魔崇拝の内容だったことは、wikipediaを見るまで知りませんでした。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/魔弾の射手

主人公は射撃の名手ですが、スランプに悩まされています。射撃大会で優勝すれば恋人との結婚を認めてもらえるのですが、現在の状況では結果は目に見えています。

そこに現れた主人公の仲間は、主人公の命と引き換えに悪魔と契約を結びます。

7発中6発は持ち主の意図したところに命中し、残り1発は悪魔の意図したところに命中する『魔弾』を作るという契約です。

このオペラの序曲が賛美歌としても有名であるということを知り、戦慄が走りました。悪魔崇拝が元になったオペラの曲が、神様を讃える賛美歌に使われているとは、どこまで神様を冒涜すれば気がすむのでしょうか。

 

ラプトさんの御言葉によりますと、悪魔は『6』までは物事をうまく進められますが、最後の『7』まで進めることができません。

そのため、最後は不正を行ったりして、関わった人たちの名誉を奪ったり、滅ぼしたりしていきます。

まさに『魔弾の射手』と同じです。

 

いえ、悪魔崇拝は昔の話ではありません。テレビに出てくる有名人が、富や名誉を得ても、最後にはみんな不幸になるのを、皆さんもたくさん見てきたことと思います。

彼らは富や名誉を得るために悪魔と契約していたのです。現在でも悪魔の存在を信じ、欲望を満たそうと悪魔に熱心に祈り、富や名誉といった現世利益を得ようとしている人が大勢います。最後には自分の身を滅ぼしてしまうことになるのに。

 

残念ながら、既存の宗教は悪魔を拝んでいたり、または悪魔崇拝者に乗っ取られていたりしています。

kawata2018.com/2019-02-11-2/

では、どこに救いがあるのでしょうか。

私はラプトさんの存在を知ることによって救われました。そのことについてはこのブログの『その5』と『その6』に書いています。私の人生はそれこそ劇的に変わりました。詳しい変化については、また後日改めて書きたいと思います。

宗教に対してアレルギーがあるという方もいらっしゃると思います。私もそうでした。

しかし、これも悪魔たちが人々を神様から遠ざける『洗脳』の一環なのです。

宗教による霊的な救いを求めないようにして、この世の快楽や享楽に溺れさせ、堕落させて神様から遠ざけ、死んだら地獄に引きずり落として、永遠に悪魔の奴隷としてこき使う…そんなことは誰も望んでいないと思います。

幸福に満たされた人生を送るために、最初はラプトブログの『箸休め』的な記事から読まれることをお勧めします。

https://rapt-neo.com/?p=25749

https://rapt-neo.com/?p=25977

https://rapt-neo.com/?p=24624

https://rapt-neo.com/?p=16414

https://rapt-neo.com/?p=18262