『証』
先日から証を書き始めています。
正直、自分なんかにそんな大それたことが書けるだろうかと思っていましたが、ラプトさんの御言葉で『分かったことを書けばいい』と仰っていただきましたので、私が御言葉を聞いて分かったことを書いてみたいと思います。
過去の記事『そして、今がある(その3・その4)』で、平和祈念像がバフォメットと同じポーズをしていることを書きました。
長崎の行政には悪魔崇拝者がいると確信したわけですが、そう考えると、どうしても長崎市の市章に目がいってしまいます。
皆さんご存知のとおり、長崎市の市章は『五芒星』です。
http://freemasonry.jp/blog-entry-4.html
上記リンク先に、長崎とフランス系カトリックとの関連が指摘されています。
長崎には明治時代に作成されたレンガ造りの壁が多く残されていますが、グラバーが活躍した外国人居留地に残されている壁は、レンガの積み方が長辺の列と短辺の列が交互に積み重ねて造られています。
この積み方を『イギリス積み』と言います。
対して、平和祈念像がある平和公園のレンガは、1列の中にレンガの長辺と短辺を交互に配置するフランス積みになっています。
この辺も何か意図があると思いますが、まだ解明されていません。
さて、話を五芒星に戻します。
長崎市は、マンホールの蓋に五芒星を入れています。道路の場所によっては数mおきにマンホールがありますので、五芒星がズラリと並ぶように見えます。
しかし、そんな長崎に、1ヶ所だけ『六芒星』のマンホールの蓋があるのです。
場所は長崎の繁華街、浜町です。おそらく、どこか他所のマンホールの蓋を持ってきたのだと思いますが、なぜここにこれがあるのか、誰に尋ねても不明です。
そんな疑問を持っていたちょうどその頃、友人がブログで『六芒星を見つけた!』と書いていました。私は『神様が考えるヒントを下さった』と思い、すぐに友人に連絡を取り、詳しい場所を教えてもらい、直行しました。
その六芒星、マンホールではなく、なんと側溝の蓋に刻まれていたのです。
六芒星が刻まれていたのは何故かこの2枚の蓋だけ。近所をくまなく探しましたが、他に六芒星が刻まれた蓋はありませんでした。
やはりこの場合も『なぜここにこれがあるのか』、さっぱりわかりませんでした。
しかし、ヒントは意外なところにありました。
第三の六芒星が見つかったのです。(続く)