そして、今がある。(その8)

今日の朝会の御言葉は、『証をしなさい』という内容でした。

他の人に恵みを与えられるような深い悟りを書いて証するよう仰られました。

自分が得た悟りを思い返しても、他の人に恵みが与えられるような悟りはまだ得られていないと思います。まだまだ私は至らない人間です。

ですが、これから少しずつ私の拙い悟りを書いていこうと思います。今回は、旧約聖書のサウルの死に関する内容についてです。

 

ペリシテ軍から攻め込まれたサウルは、敵の手にかかって死ぬよりはと、サウルの武器を持っていた従卒に剣で刺し殺すよう命じます。しかし、従卒が非常に恐れてできなかったので、サウル自ら剣を取り、その上に倒れて絶命します。それを見た従卒も、後を追って絶命します。

 

その後、サウルから逃れるようにして生きていたダビデのもとに、サウルの陣営から一人の男がたどり着きます。その男は『自分がサウルから頼まれて、とどめを刺した』旨のことをダビデに話します。それを聞いたダビデは、従者に命じてこの男を打ち殺します。

 

最初にこの部分を読んだとき、記述内容が違うことの意味がわかりませんでした。『サウルは自ら命を断ったのか?この男に殺されたのか?』『昔の書物だから、事実が曖昧になっているのだろうか?』と、あれこれと考えましたが、聖書は神様の言葉で書かれています。曖昧な記述のはずがありません。

 

繰り返し読んで悟ったのは、『サウルの陣営から来た男が嘘をついていた』ということです。

この男は、ダビデがサウルから追われていることを知っていたのでしょう。いや、この男に限らず、イスラエル中の人間がそのことを知っていたと思いますが。

そこでこの男は、『自分がサウルを討ったと言えば、ダビデが自分を重用するだろう』と考えたのでしょう。とてもサタン的な考えです。

しかし、ダビデは神様に油注がれた者で、神様と同じ脳を持っています。実際、それまでダビデにはサウルを討つチャンスが何度かありました。それでもサウルを殺さなかったのは、サウルもまた神様に油注がれた男だったからです。ダビデは、神様に油注がれたサウルを剣にかけて殺した男の罪を裁くために、従者に命じてこの男を打ち殺したのでしょう。