『証』(子どもの頃からの振り返りについて)
子どもの頃の私は、よく言えば『個性的』、平たく言えば『変なヤツ』だったと思います。
行動にしろ、考え方にしろ、周りの人と違うところがいろいろありました。
一番の違いは思考パターンでしょうか。
よく『筋道を立てて考える』と言いますが、例えば人が『1、2、3、4、5…』と順序立てて考えるところが、私の場合は『1、3、7、16、4、11…』になるのです。しかも、時々『⭐︎、♫、♡…』といった、本題に関係ないことも同時に頭に浮かんできたりします。
そのため、自分の考えを説明しても、周りの人にはさっぱり理解してもらえませんでした。
しばらく時間が経って、物事の全容が明らかになったとき、『あぁ、あのときじげもんが言っていたのはこういうことだったのか』と、一部の人に思い出してもらえる…といった感じでした。
働くようになって、『ADHDの診断手引』みたいな冊子を見る機会がありました。
開いてみて驚きました。
そこには、私の性格がそのまま書かれてあったのです。
それからしばらく、『自分は病気なんだ』という考えに悩まされました。これまで散々周りから『お前は変だ』と言われ続けてきましたので、無理もないことです。
日々、周りの人の行動や思考のパターンを観察しました。『こういう場面ではこういう行動をとるのが普通』といった、一種のマニュアルを自分の中に作成していき、それに従って生活していました。振り返ると、毎日がとても苦しかったです。
そんな私の気持ちを救ってくださったのが神様でした。
『あなたの個性、才能を輝かせなさい』という御言葉に、どれほど勇気づけられたことか。
『自分はこのままでいいんだ』と、認めてもらえたような大きな安心感がありました。
それから、Raptさんのブログを通してこの世の中の仕組みを知るにつれ、人と違う私がおかしいのではなく、同じ枠に押し込めようとする考えの方がおかしいのではないかと悟りました。
例えば、戦時中は左利きの子どもを右利きに矯正することが多くありました。これは、箸を使う日本文化の伝統という部分と、当時の日本で主に使われていた三八式歩兵銃がボルトアクション方式だったため、左手では操作しにくかったという部分があるようです。
結局、ときの権力者(=#上級国民 )の都合に庶民が振り回され、個性を殺されているだけなのです。
今の世の中には、以前の私のようにADHDと診断されて苦しい思いをしている人がたくさんいらっしゃると思います。
他人と違うことを認めない社会。
『空気を読め』という風潮。
目立たないように、息を潜めてやり過ごす毎日。
そんな日々からオサラバしませんか?
あなたにはあなたの個性や才能があります。
ADHDと診断された方は、実は個性と才能の宝庫ではないかと私は思います。
自分の個性や才能を見出し、それを磨くことによって活躍できるようになったら、どれだけ素敵なことでしょうか。
夢物語ではありません。そのような努力をしている人がたくさんいらっしゃいます。
興味がある方は、まずは下記記事をお読みください。
詳しいことは、有料記事にも書かれてあります。
有料と言いましても、1ヶ月分が購読できて800円ですので、そこまで大きな負担にはならないと思います。
もちろん、個性や才能を開花させるには、並大抵の努力では足りません。それこそ、自分の限界を何度も突破しないといけないでしょう。
しかし、皆さんは一人ではありません。
神様が味方についていらっしゃいます。
神様は霊的な存在ですので目には見えませんが、確かに存在していらっしゃいます。
神様の名をこの地に表すために、神様のために努力を重ね、個性と才能を開花させようとする人に、どこまでも力を与えてくださいます。神様に祈り求めてみてください。
皆さんがそれぞれの個性と才能を開花させ、みんながより暮らしやすい世の中を作っていければ、こんな素晴らしいことはありません。ぜひ実現させましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。