『引用記事』(バッハの悟りと、それを伝承するリリング)
新約聖書の冒頭には、マタイ、マルコ、ルカ、そしてヨハネによるキリストの証が書かれています。
それぞれの見聞や立場により、少しずつ内容が異なる箇所もありますが、キリストの生涯について理解できる感動的な読み物になっています。
この『キリストの受難』を主題にした楽曲は、昔からたくさん作られてきたそうです。
その中でも特に有名なのが、J・S・バッハによる『マタイ受難曲』と『ヨハネ受難曲』です。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ヨハン・ゼバスティアン・バッハ
他にも『ルカ受難曲』と『マルコ受難曲』があったそうですが、ルカ受難曲は真作と見なされておらず、マルコ受難曲は台本のみが現存し、他は消失しているそうです。
さて、今回引用させていただくのは、日本におけるバッハ研究の第一人者、本山秀毅氏の著書『喝采、その日その日。〜うたごごろの現場から〜』です。
著書の中に『ヨハネ受難曲』について書かれてあるページがありました。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ヨハネ受難曲
ヨハネ受難曲は、バッハ全集によると40曲から構成されています。
第一部14曲(捕縛からペテロの否みまで)、第二部26曲(ピラトの審問から埋葬まで)の二部構成です。
特に第二部については、Wikipediaによると曲の配置がシンメトリーになっていることが知られているそうです。
YouTubeを検索するといくつか演奏がヒットしますが、私が聴いた限りでは、下記リンク先の演奏がいいと思いました。
上記リンク先の演奏では、32分あたりまでが第一部で、その後、第二部が始まります。
この曲について、本山秀毅氏の師であるヘルムート・リリングによる曲の解釈が大変興味深いものでしたので、ぜひ皆さんに紹介したいと思い、勝手ながら引用させていただきました。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ヘルムート・リリング
ヘルムート・リリングはバッハの専門家として世界的に知られています。バッハの合唱曲を全曲録音した世界で最初の人物です。
本山秀毅氏は、ドイツ滞在中に『ヨハネ受難曲』の講習会に参加しました。
その講習会で新約聖書『ヨハネによる福音書19章23節』のテキストにつけられた楽曲について、ヘルムート・リリングと交わした会話が著書に記されていました。
聖書のテキストは以下のとおりです。
『兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。そこで、「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう」と話し合った。』(聖書 新共同訳より)
著書の内容を以下に引用すると、
『十字架上のイエスのすぐ下で、イエスが着ていた着物の所有を巡って諍いを起こす兵士たちの会話、「それを裂かないで、誰のものになるかくじを引いて決めよう」という一見何気ない歌詞に対して、バッハは入念な作曲を施している。すなわち、会話するような音の反復、布の四隅を持って引っ張り合うようなシンコペーション、サイコロを転がすような十六分音符、そして十字架のモティーフが横たわる四つの四分音符という、驚くべき彫琢が施されたテーマを、四声が緻密にカデンツを作っては追いかけるという大規模な楽曲になっているのである。』
前述のYouTubeリンク先の演奏では、だいたい1時間8分あたりです。ぜひお聴きになり、確認してください。
しかもこの楽曲は、シンメトリーを崩すような位置に存在しています。
バッハは明確な意図を持って、このテキストに大仰な曲をつけ、曲を楽曲の中のこの位置に配置しているのです。
本山秀毅氏は、リリングに対し『この他愛のないテキストに対して、バッハの作曲は余りにも大袈裟過ぎませんか』と質問しましたが、リリングは『我が意を得たり』と、その質問を絶賛しました。リリングの考えを引用すると、
『バッハは見張りの兵士たちに、われわれの姿を重ねている。すなわちイエスの死という痛切な時にも、自らの欲望と享楽に溺れる姿をだ。ここに一見不釣り合いとも思える大規模な曲を置くことで、われわれが兵士のように堕落しないように、イエスの十字架をいつも心に留めるようにと、警告を発しているのだ。』…
私はこの箇所を読んだとき、『旧約聖書の時代背景は、現代ととてもよく似ている』と思いました。
今、最後の使命者が現れ、毎日のように神様の御言葉を伝えてくださっています。
しかし、私たちは御言葉に耳を傾けることなく、目先の利益を追い求める救いようのない刹那的な人生を送っています。
私たちのその姿は、下着を手にして『俺の物だ』と引っ張り合い、いがみ合っている兵士たちと同じではないでしょうか。
このような生活を送っていると、いずれ神様から裁かれます。いや、私たちが悔い改めなければ、神様は私たちに愛想を尽かし、救いの道を閉ざしてしまわれることでしょう。
そうなると、私たちはサタンの支配下に置かれ、この世でもあの世でも地獄の中で永遠に苦しむことになります。
そうならないためにも、一人一人が神様の御言葉に最後まで聞き従い、神様を喜ばせるような人生を送らなければなりません。
私たちが救われる道はそれしかないのです。
神様の御言葉を知りたい方は以下のリンク先をご参照ください。
https://rapt-neo.com/?page_id=30947
また、すでに神様の御言葉を聞いて救いを得た方々の証については、以下のリンク先をご参照ください。
http://rapt-plusalpha.com/category/life/
最後までお読みいただき、ありがとうございました。