『証』(神様はすぐそばにいらっしゃいます その1)
世の中、理不尽なことが多いです。
先日は1億2000万円もの脱税をしながらも逮捕されないお笑い芸人がニュースになりました。
かたや、同じような状況で逮捕され、懲役2年、執行猶予4年の判決を受けた青汁王子もいます。
また、池袋でプリウスを暴走させて人を殺しても、あるいは女性をレイプしても、逮捕されない人たちがいます。いわゆる『上級国民』です。
そこにあるのは身内どうしの庇いあいだけです。公平な裁きなどは存在しません。
どうしてこんな世の中になってしまったのでしょうか。
それは、『悪人』がこの世を支配しているからです。
いえ、正確には、悪人の上に『悪魔(サタン)』がいるからです。
サタンは狡猾で悪知恵が働き、不条理の中に生きています。
また、人間という存在を心の底から憎み、人間を不幸のどん底に突き落とすのを何よりも楽しみにしています。
人が悩んだり、苦しんだり、あるいは恐怖に怯えたりする様子が、サタンには何よりのご馳走です。
では、そんなサタンの仲間になれば、楽しく生きられるのでしょうか。
いえ、そんなことをしても楽しい人生は送れません。
確かに、サタンの仲間になれば、最初は富や名誉が手に入ったり、有名になったりします。
しかし、その富や名誉がいつまでも手元にあるとは限りません。
また、一時的に有名になったとしても、その名声を保ち続けるには、たゆまぬ努力が必要です。
しかし、サタンの力で有名になった人は、これまでたいした努力をしていないだろうし、おそらくこれからも努力をしないと思うので、簡単にメッキが剥がれ落ちます。
富や名声を得た分、他人からのやっかみは大きいです。落ち目になればそれこそバッシングの嵐です。
その結果、サタンの仲間になった人は、不幸な末路を辿るのです。
『サタンなんか身近にいるはずがない』と思っている人は、実は既存の宗教が、神様ではなくサタンを拝んでいると言ったら驚くでしょうか。
ラプトブログで明らかになっていますが、仏教は悪魔崇拝です。
キリスト教も、悪魔崇拝者に乗っ取られています。『全能神教会』などが良い例です。
生長の家や幸福の科学、天理教といった新興宗教も、同じくサタンを拝んでいます。
サタンは目に見えませんが、確かに存在しています。
悪いことをしている人を見ると、『自分と同類だ』と近づき、その人の心の中に入り込み、さらなる悪事を働かせます。
快楽と享楽に耽り、欲望を全て叶えることが人間の幸せだと思っている人は、サタンを熱心に拝み、祈りを捧げているのです。
では、サタンを熱心に拝み、悪事の限りを尽くしている人は幸せなのでしょうか。
日本の悪のトップは安倍晋三や麻生太郎ですが、彼らの様子を見ていると、どう見ても幸せそうには見えません。むしろ、大きな苦しみにもだえながら、必死に外面を取り繕っているようにしか見えません。
今は、悪人に対する裁きが下されている時なのです。
では、誰が裁きを下しているのでしょうか。
それは、他ならぬ神様です。
神様は、自分と愛を成す存在として人間を創造なさいました。
愛と言っても、私たちの頭に思い浮かぶ肉欲的な愛ではなく、精神的な愛…相手のことを常に思い、相手の喜ぶことを行おうとし、相手のために真心を込めて尽くし、必要なら自分の命すら捧げる…といったどこまでも清い愛です。
神様は私たち人間に対し、そのような愛をずっと示してくださいました。
この宇宙を創造し、太陽を形成し、絶妙な距離を保った位置に地球を置き、地表に豊かな自然を形成し、数多くの動植物を創造なさいました。
また、地球を大気で覆い、表面に豊かに水をたたえました。地球が自転と公転運動を行うようにし、あらゆる物質を循環させるシステムを確立なさいました。
これらは全て、人間が快適かつ心豊かに生きていくために、天国の有様を参考にして神様が用意してくださったものです。
ところが、そんな神様からの愛を永遠に受けることができないサタンが人間に嫉妬をして、人間を堕落の道に引きずり落としてしまいました。
エバをそそのかして、神様から食べることを禁じられていた『善悪の知識の木』の実を食べさせたのです。
サタンは、人間が神様に逆らうことを最大の喜びとしています。
愛する人間が神様を裏切るわけですから、醜い嫉妬の塊となったサタンにとって、これ以上の喜びはないでしょう。
神様を裏切った人間も、神様の救いを永遠に失ったわけですから、地獄に行くしかありません。そこで永遠に、サタンの奴隷として終わることのない労苦にあえぐことになるのです。
これまでの時代は、サタンが人間を支配してきました。
世の中に悪が蔓延し、『悪を行うことがカッコいい』といった風潮さえありました。『チョイ悪おやじ』なんて言葉もありましたね。
そんな中、善人は不条理に苦しむしかありませんでした。
私自身も、善人とはとても言えない生き方をしてきましたが、不条理な目にあうことがしょっちゅうでした。
どんなに努力をしても報われない。
誰かに頼っても人は心変わりをする。
しかし、時代は変わりました。
これからの人生をどう生きればいいのか、それはまた次回書きたいと思います。