『悟り』(神様の大いなる愛 その2)
(画像はhttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/十戒_(映画)#/media/ファイル:Charlton_Heston_in_The_Ten_Commandments_film_trailer.jpgより)
前々回のブログでは、悪魔崇拝者が起こした数々の悪行について触れました。
他にも、ここでは詳しく触れませんが、悪魔崇拝者たちは人肉を食したり、幼児を虐待したりといった、私たちの常識では考えられないようなことを日常的に行っています。
こういった状況は、旧約聖書の時代と全く同じです。
当時の人々も悪魔を崇拝したり、自分の子どもに火の中をくぐらせたりしていました。
例えば出エジプト記によると、モーセが神様から十戒を授かるためにシナイ山に登っていた40日の間に、待っていたイスラエルの人々は黄金の若い雄牛の像を作って拝んでいます。
牛の像とは、つまりバアルのことです。
聖書を読むと、神様は偶像崇拝を禁じています。イスラエルの人々は偶像を崇拝した罪と、悪魔を崇拝した罪の2つを犯したのです。
モーセは激しく怒り、神様の文字が書かれた、手にしていた石板を砕いてしまいます。
しかし考えてみると、偶像崇拝は旧約聖書の時代にとどまらず、現代でもお寺の仏像を拝んだり、カトリックの教会のキリストの像の前で手を合わせたりしています。これらは立派な偶像崇拝です。
このように、今日まで人々は常にサタンからの悪なる誘惑に晒されて生きてきました。
サタンは、キリスト教が広まり、人々が神様と繋がり、愛を成して救われるのを見るのが耐えられない存在です。
自分たちから神様に反逆し、その罰を受けて神様から永遠に裁かれる立場にいながら、人間たちが神様から愛を受けるのを嫉妬の目で見ているのです。
そのため、人々が神様と繋がらないように、教会に工作員を送り込み、長い時間をかけてキリスト教を内部から破壊してきました。
例えば、カトリックの教会ではキリストと同じぐらい、どうかするとそれ以上にマリアが『聖母マリア』として信仰の対象になっています。
しかし、新訳聖書をいくら読み返しても、マリアを信仰するよう勧めるような表現は出てきません。
マリアに関する記述は、例えばルカによる福音書では8章19〜21節にあります。
マリアとイエスの兄弟たちがイエスに会いに来ましたが、群衆のため近づくことができません。『母と兄弟たちが来ている』とイエスに知らせがありますが、イエスの答えは『わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである』でした。
https://ja.m.wikisource.org/wiki/ルカによる福音書(口語訳)
同様の箇所はマタイによる福音書12章46〜50節、マルコによる福音書3章31〜35節にもあります。画像を添付します。
https://ja.m.wikisource.org/wiki/マタイによる福音書(口語訳)
https://ja.m.wikisource.org/wiki/マルコによる福音書(口語訳)
このように、新約聖書にはマリアを信仰の対象とする記述はありません。
では、どうしてカトリックの教会ではマリアを聖母として信仰の対象にしているのでしょうか。
自分のツイートで恐縮ですが、悪魔崇拝者たちがマリアを隠蓑のようにして、別の女性を拝ませている疑いがあります。
https://twitter.com/dbwisvhvvou9iua/status/1277591071866753028?s=21
リンク先に書かれているセミラミスは、アッシリアの伝説上の女王です。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/セミラミス
また、12月25日はキリストの誕生日ではなく、ニムロドの誕生日だという説もあります。
https://twitter.com/dbwisvhvvou9iua/status/1277588105206231040?s=21
このようにして、悪魔崇拝者たちはキリスト教の本質をねじ曲げて人々に信仰させていました。
また、カトリックの神父たちが幼児虐待を行なっていたというニュースも後を断ちません。
前ローマ教皇ベネディクト16世がカナダの幼児5万人を虐殺した罪で逮捕状が出されていたのも事実です。
私たちは真実を知り、サタンに毒された宗教を廃し、神様と愛を成すことで幸せになることができます。
いえ、人が幸せになる方法は、それしかありません。
いくら偉人の言葉を聞いても、人生の啓発書を読んでも、神社などに行って御朱印をもらっても幸せにはなれないのです。
真に幸せを求めたい方は、まず下記のブログをお読みください。
また、こちらのサイトもオススメです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。