『悟り』(信仰の花を咲かせよう)

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最近instagramを始めました。

そちらにUPした記事の詳細を、ときどきここに書いていこうと思います。

さて、冒頭の写真ですが、「マルバツユクサ」という植物です。自宅の花壇にありました。

青い花が咲きますが、ふつうのツユクサの花よりひと回り小さいです。

http://www.juno.dti.ne.jp/~skknari/maruba-tuyukusa-heisaka.htm

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このマルバツユクサ、地上だけでなく、地中にも花を咲かせます。「閉鎖花」と言うそうです。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/マルバツユクサ

そこで、私も花壇のマルバツユクサを抜き、根を確認してみました。

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中央部に白くて丸い膨らみがありますが、それが「閉鎖花」です。拡大してみました。

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自宅のはまだ未成熟でしたが、インターネットを調べてみると花の構造がよくわかります。

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地上の部分だけをむしり取っても、根が残っていたら花を咲かせ、種子をつくり、繁殖します。

世間では、「生命力が強い厄介な雑草」と思われているようです。

しかし、私はこの花を見て悟ったことがありました。

自宅の花壇では、マルバツユクサのすぐ横でマリーゴールドを育てています。

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とても華美な花で、人目につきやすいです。

その様子を見て心に浮かんだのは、新約聖書に登場するパリサイ派、律法学者でした。

彼らは「自分たちこそが神様に一番近い存在だ」と、奢り昂っていました。

聖書には「彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない。そのすることは、すべて人に見せるためである。(マタイによる福音書23章4節〜5節)」と書かれています。

さらに「聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする。宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、また、広場で挨拶されたり、『先生』と呼ばれることを好む。(マタイによる福音書23章5節〜7節)」とあります。

人々から尊敬され、チヤホヤされるのを何よりも好んでいたようです。

しかし、そこにイエス・キリストが現れます。

エスは神様から受けた啓示を話しますので、その言葉はどこまでも威厳に満ち、また人々に新しい知識を与えました。

言葉によってサタンや悪霊を滅ぼし、たくさんの人々が救われ、癒されました。

その時代、イエスが一番裁いたのがパリサイ派、律法学者たちでした。

エスは彼らに「蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか。(マタイによる福音書23章33節)」と言い、裁いています。

旧約聖書の「創世記」や、新約聖書の「ヨハネの黙示録」に書かれてあるとおり、「蛇」はサタンの象徴です。彼らの魂はサタンと同質のものになっていたのです。

パリサイ派、律法学者たちは「このままでは自分たちの権威が失われてしまう」と恐れ、イエスの悪口を言いふらし、ついには捕らえて処刑してしまいます。

その結果、ユダヤ人たちは最終的には祖国を失い、世界中で忌み嫌われる民族となりました。

彼らに対する裁きは現在、最終段階を迎えています。民族全体の滅びのときが刻々と近づいているのです。

話を戻します。パリサイ派、律法学者たちは「自分たちこそ一番神様に近い」と言いながら、実際には神様に感謝せず、愛を成していませんでした。

例えるならマリーゴールドの花のように、まさに上辺だけ飾り立てることにだけ一生懸命だったわけです。

エス新約聖書の中で、「パリサイ派と律法学者の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ(マタイによる福音書23章25節)」と言っています。

対してマルバツユクサの花は、青い色は鮮やかですが花弁も小さく、そんなに目立たない花です。

しかし、目に見えない地下にも花を咲かせ、豊かな実りを得ています。

聖書にはパリサイ派と徴税人の話が載っています。「パリサイ派の人は立って、『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者ではなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を捧げています。』ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐んでください。(ルカによる福音書18章11節〜13節)」私たちもこのように、目に見えない内面に豊かな、そして確かな信仰を持ち、神様を愛し続けたいと深く感じた次第です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。